沿革・歴史

地域の歴史と特性

 開拓の当初は、中音更と呼ばれていた。駒場の地名は十勝種蓄牧場にちなんで付けられている。昔は柏林に鈴蘭の花が咲き、とりわけ初秋の草原に可憐な姿で咲き乱れるキキョウが沢にあったところから「キキョウが丘」とも呼称されロマンの地であった。当地に倭人が最初に入植したのは、明治32年(1899年)で音更川が運んだ肥沃な沖積土の多い現在の駒場橋付近であったと伝えられている。

 明治42年(1909年)に岐阜県の団体が今の門前地区に入植し、翌年には政府の馬振興策「十勝種畜牧場」(現在は家畜改良センター十勝牧場)が設けられた。当時の牧場は14,000haの広大な面積を有し、門前神社前の5叉路付近には大きな正門があり、そのことによりこの辺りを「門前」と呼ぶようになった。

 大正12年(1923年)国鉄士幌線が開通したときには種畜牧場の玄関として、又、物資輸送の必要から駒場駅が設けられたと云われている。

 この鉄道の開通によって、柏や楢の原始林であった駒場は急速に開拓が進み鴨などの水鳥が遊泳していたといわれる沼があった学校の南西部にあたる低湿地帯もすっかり変わり、現在は住宅地として整備されている。

 昭和初期には農家の人達が優秀な種馬を求めて種蓄牧場にやってきたので、馬小屋付き旅館も何軒かでき、料理や商店も軒を連ね賑わっていた。

種畜牧場は駒場の歴史と極めて密接な関係をもって、この地域の発展に大きな役割を果たしてきたと云える。

 学校は音更のほぼ中央部に位置する駒場市外の北西部にあり、道道(音更・士幌上士幌線)に沿ったところにある。この道道をはさんで西側に農林水産省家畜改良センター十勝牧場の4,200ha(牧草地3,200ha)の大自然に恵まれた広大な敷地が広がっている。校区は駒場・西駒場の市街地、音更高校住宅地区と十勝牧場、北駒場、中駒場、門前、北栄、武儀、南中、新政、忍、南武儀、富士、北林、元林、上然別、誉、北上、北栄、光和、東中音更、共進、大牧、東豊田,柏葉、豊秋の農村地帯とに大別される。帯広より15km、音更市街から7kmで、4校の小学校を校下とする駒場中学校や北海道音更高校が地域内にあり、教育環境・交通の便に恵まれている。

 近年住宅化が進んでいるが、十勝牧場をひかえ自然にも恵まれており、冬季の寒さは厳しいものの学校環境の条件として整っている。

学校の歴史と特性

 明治38年11月10日特別教授場所として創立されて以来、100有余年にわたる長い歴史と伝統を誇り現在に至っている。

 平成21年に現校舎(体育館以外)が新築され、オール電化で、温かく清潔な校舎へと生まれ変わった。

 平成25,27年に暗渠の埋設などの工事により、グランドの整備が行われた。また、平成27年には、1人1台のパソコンが配備され、情報教育の環境も整った。

 在籍児童数においては、昭和41年に200名を割って以来、ゆるやかに減少し、今年度は100名になった。各学年の人数も15名程度と適正な状況となっており、一人一人のよさや能力を伸ばす教育の充実が図られているところである。

 昭和50年4月本校に統合した光和小学校の校下(光和)と平成22年4月に統合した東中音更小学校の校下(東中音更、共進、大牧)は、北・中駒場地区と共にスクールバスによる通学となっている。また、平成11年4月に統合した南中士幌小学校の校下(元林、北林、南中、新政、富士、忍、武儀、南武儀)と平成14年4月に統合した上然別小学校の校下(北上、誉、上然別、北栄)、平成27年4月に統合した豊田小学校の校下(東豊田、柏葉、豊秋)の児童もスクールバス通学となっており、本年度のバス通学児童総数は46名となっている。

 冬季以外は、自転車で通学をしている児童もいるので、交通安全指導が重視され十勝牧場には自転車専用道路が確保されている。

また、平成4年5月に通学路となっている道道上士幌・士幌、音更線に手押し式信号機が設置され、交通安全面で大いに役立っている。