学校の紹介
沿革・歴史
東士幌小学校をとりまく地域の歴史
明治33年、岐阜県人田中倉吉氏が、士幌川を遡江して字東6線64番地(今の高橋健児氏宅付近)に初入植して以来、白木清治氏、野村喜三郎氏、白川勝太郎氏らが続々と入植。年々、開拓者の数は増えていったが、当時辺り一面が鬱蒼たる原始林で、牛馬はおろか人の行き交う道もなく、わずかに動物の足跡を求めたり、ヤチボウズを踏んで湿地の中に早道を尋ねたり、或は、渓流を渡るに樹木を投棄するなどして原野開拓の日々は進められていった。
現在の12号道路など音更に通ずる道は全く無く、人々は士幌川沿いに木野市街、或は帯広に通行するだけであった。そして、ヤチダモなどの密生した湿地帯を避けて乾燥地に開墾の場を求めれば、そこには柏などの老樹生い茂り、開拓者はそうした原始林を分け入って、樹木を伐採しながら畑地を広げていった。
寒冷地にくわえて、ガスの立ち込める年が少なからず、殆ど無収穫の年も幾度か数え、あまつさえ、文化文明の恩恵から遠く隔絶された荒野での苦闘は精神的肉体的に計り知れないものがあった。しかし、歳月を経るに従い、嘗ての人跡未踏の原野に、人馬の往来激しくなり、随所に見られたバッタ塚も影を失い、12号道路が明治41年に開通するや、交通は便となり畑地は、広漠として道路、橋は、整備され、雑穀の生産は上昇する一方で、小学校明治39年、お寺明治45年、神社大正4年、駐在所大正11年(昭和42年廃止)、郵便局昭和5年、商店、保健所などが現在の東士幌市街に建てられるに及んで入植者の生活が潤され孤立的生活から次第に社会的形態組織を持つに至った。土功組合、部落連合会、実行組合、協同組合、衛生組合、警防団などの組織の編成は、それに一層の拍車をかけ、部落の発展に寄与するところ大であった。
なお、水稲は下士幌増田立吉氏より苗15把貰い受けて試作したが、その年は実らず、さらに明治37年、石井初次郎氏、田中万作氏、野村喜三郎氏らが、試作を重ね、ついに玄米少々を収穫するに至ったのが水田の始まりである。また、同年、白川勝太郎氏が試みに畑に過燐酸を施し、その効能素晴らしく畑作農業への自信と希望を与え、開拓への功労大なるものがあった。
東士幌小学校の沿革
1 生い立ち
学校の産声は、明治38年、野村喜三郎宅であげられた。土曜の午後と日曜の午前だけの寺子屋授業で、4名の生徒が、音更第一教授所の明神新蔵先生から読み書きを習ったとされている。明治39年4月、中士幌東簡易教育所となり、同年8月、12坪半の掘建て小屋が建てられ、校名も音更第八簡易教育所と変更し、学校が誕生した。後に中士幌郵便局長を勤められた大塚熊三郎氏が、通いで教鞭をとられた。燕麦がらを敷いた教室の真ん中に炉を仕切り、焚火をしながらの授業であった。石油箱が机、石盤を使っての書き方、そろばんで19名の生徒が学んだ。
明治41年、現在位置に校舎が建てられ、翌年教員住宅が併置されて、ようやく学校としての体裁が整えられた。
2 校名の変遷
明治39年4月25日中士幌東簡易教育所
明治39年8月18日音更第八簡易教育所
明治43年4月8日音更第八尋常小学校
大正3年9月3日東中士幌尋常小学校
大正4年12月25日東士幌尋常小学校
大正14年3月25日東士幌尋常高等小学校
昭和16年4月1日東士幌国民学校
昭和22年4月1日東士幌小中学校
昭和27年4月1日東士幌小学校(中学校は稔、協和中学校に統合)
3 東士幌小学校の歩み
明治38年 4月 寺子屋授業開始児童4名
39年 4月 中士幌東簡易教育所として学校設立
8月 音更第八簡易教育所と改名校舎を東5線に建築
41年 4月 新校舎を東4線現在地に建築
43年 4月 音更第八尋常小学校と改名
大正 3年 9月 音更町東中士幌尋常小学校と改名
4年12月 音更町東士幌尋常小学校と改名
6年 9月 校庭に御真影奉置所(奉安殿)を設置
14年 3月 高等科を併置し、東士幌尋常高等小学校と改名
昭和11年11月 校庭に二宮尊徳像建立
12年 4月 学校後援会設立
12年12月 新校舎落成
16年 4月 東士幌国民学校と改名
11月 二宮尊徳像告別式(12月太平洋戦争始まる)
19年 8月 田村惣太郎氏、学校用石炭運搬中に自動車に驚いた馬車とともに転落死、学校葬を実施
22年 4月 学制改革、6・3制実施
5月 東士幌中学校開校
24年 2月 子供銀行開始
10月 村内中学校野球大会優勝
26年 9月 学校植林コンクール入賞(第2位)
27年 1月 全道植林コンクール表彰式
3月 新設中学校へ統合のために東士幌中学校廃止
管内学校植林モデル校に指定
29年11月 管内学校花壇コンクール優秀校として表彰
35年12月 東士幌消防団によりスケートリンク造成開始
36年 6月 親子2代卒業記念に門柱寄贈
12月 学校給食開始
37年 2月 学校植林コンクール環境緑化の部第2位入賞札幌市で受賞
11月 温食給食開始
39年12月 大凶作、冷害見舞い物資到着
40年11月 屋内体育館落成
41年 2月 電話機新設
5月 子供郵便局表彰
45年12月 新校舎落成
46年 4月 築山池造成、庭石配置
47年 5月 子供郵便局郵政局長表彰
48年 6月 温室完成
50年 4月 開校70周年記念式典
9月 開拓記念碑除幕式
51年 7月 プール完成
54年 4月 葭原小学校統合
55年 4月 音更複式教育研究実践指定校
56年11月 音更複式教育研究実践授業公開
60年 6月 校旗入魂式(開校80周年記念)
11月 スキー場完成
61年 4月 本校卒業生今年度より駒場中学校に進学
62年12月 グラウンドに照明設置
63年 2月 教育講演会(シャーリー・K・梨木氏)
11月 車庫設置(散水車・ジープ用)
平成 3年10月 子供郵便局知事より表彰を受ける
11月 音更町教育研究会複式部会当番校
5年 3月 体育館改築落成
6年 1月 旧校舎改築、現校舎大規模改築落成
12月 大規模外構工事完了、校舎改築落成記念式典・祝賀会開催
新郷土資料室展示再開
7年 5月 音更高等学校との交流学習開始
9年10月 十勝管内へき地・複式教育研究大会
北部方面複式教育研究大会
13年 9月 音更町学校教育研究大会
11月 租税教育推進校帯広税務署長賞受賞
16年 2月 おびひろ児童版画コンクール優秀学校賞受賞
17年 1月 コンピュータ更新設置
2月 おびひろ児童版画コンクール審査員特別賞受賞
10月 開校100周年記念ミニ公開研究会兼北部方面複式教育研究大会開催
18年 2月 開校100周年記念式典・祝賀会開催
19年 5月 2世紀記念親子記念植樹
20年 5月 2世紀記念親子記念植樹(桜の木)とネームプレート
9月 音更町学校教育研究大会(小学校複式校会場)
9月 東士幌保全会との連携による環境学習開始
21年 5月 PTAによる「ひまわりプロジェクト」開始
6月 音更町図書館との連携によるブックフェスティバルの開催
22年 7月 職員室耐震工事
8月 教育実習生受け入れ<教育大学釧路校2名札幌校1名>(9/3まで)
23年 9月 環境学習(藍染め体験)
10月 租税教室
24年 2月 防災教室(東士幌地区自主防災会主催)
7月 環境学習[然別湖ヤンベツ川たんけん・士幌川たんけん(9月)
10月 収穫フェスティバル開催
25年 6月 バス遠足(白雲山登山)
26年10月 収穫フェスティバル開催
27年 3月 特別支援学級教室改修工事完了
4月 特別支援ひまわり学級開設
5・6年教室を図工室に移設
5月 校庭東側斜面に桜の苗木25本植樹
10月 音更町複式教育連盟研究大会会場校
28年 4月 110周年記念植樹
6月 開校110周年第45回連合大運動会
29年 5月 企業地域ボランティア作業(外トイレ屋根、自転車小屋、百葉箱、遊具)
7月 教職員弘済会ブックパック寄贈
30年 4月 たんぽぽ学級開設
8月 児童用PC入れ替え
9月 ブラックアウトにより臨時休校
9月 水害時引き渡し訓練
令和元年 6月 刈払い機寄贈(東士幌環境保全会)
7月 環境学習「士幌川調査」(講師 NPO法人多自然ネット)
9月 キャリア教育「獣医師の仕事を知ろう」(講師 十勝獣医師会 水村亮平 氏)
令和 2年 2月 音更町なのはな給食実施校
新型コロナウイルス感染症拡大防止のため臨時休校(2月27日~3月24日)
3月 第113回卒業証書授与式・修了式(児童とPTAのみ)
令和 2年 4月 なのはな学級開設
4月 新型コロナウイルス感染症拡大防止のため臨時休校(4月20日~)
5月 教職員弘済会スポーツパック寄贈
6月 キャリア教育(講師:エア・ドゥ)
7月 機械警備システム導入
12月 集まれ東士幌の森PTA親子レク花火大会
令和 3年 2月 教育委員会より各校へクロームブック配布
7月 東士幌保育所・東士幌小学校合同運動会開催
12月 あつまれ東士幌の森 PTA親子レク
令和 4年 6月 東士幌保育所・東士幌小学校合同運動会開催
9月 公務員弘済会よりブックパック贈呈
12月 PTA親子レク・大雪のため臨時休校(23日)
令和 5年 7月 体育館外壁塗装工事開始(~9月)
8月 臨時休業(23 日~25日午後)、PTA夏祭り実施(焼き肉・ビンゴ大会・花火)
1月 大雪のため臨時休校(23日)
3月 修了式 ※6年生欠学により卒業式は未実施