おとふけの歴史
明治44年まで
長禄元年(1457年)
- オトプケ(音更)酋長 シャガニ
寛政12年(1800年)
- シカリベツプトの地名が初めて記録に見られる
安政2年(1855年)
- 大川宇八郎が2月22日に岩手県軽米で生まれる
- シカリベツプトに5戸(男10人、女14人)
安政5年(1858年)
- 松浦武四郎がトカチ内陸を探検、音更地内に調査で立ち入る
- シカリベツ16戸
明治元年(1868年)
- 1月25日「明治」に改元
- 開拓使事業報告で現在の然別付近の地名が士狩別太とされる
明治7年(1874年)
- 米国人ライマンが大雪山方面から十勝に入り、音更川を踏査
明治12年(1879年)
- 大川宇八郎がアイヌとの交易を始める
明治13年(1880年)
- 大川宇八郎が音更に定住する

大川宇八郎翁(昭和12年ごろの撮影)
明治14年(1881年)
- 大川宇八郎が音更に初めて馬を入れる
明治21年(1888年)
- 音更アイヌコタンができる
明治22年(1889年)
- 渡辺勝が然別の開墾に着手
明治27年(1894年)
- 増田立吉が下士幌で水稲を試作
- 北海道集治監釧路分監帯広外役所の音更出張所が開設される
明治29年(1896年)
- 帯広-音更間に初めて道路ができる(現・国道241号)
- 木野村農場が創設される
明治30年(1897年)
- 仁礼農場が創設される
- 矢部団体、江波団体が入植
- 武儀団体が入地を開始、入植地と帯広市街を結ぶ刈り分け道を拓く
明治31年(1898年)
- 千野農場が創設される
- 音更と然別に初めて商店ができる
- 美濃開墾合資会社が入植
明治32年(1899年)
- 渡辺勝が牛乳販売を始める
- 阿部農場が創設される
明治33年(1900年)
- 温泉を引き近所の人々が利用(現・十勝川温泉のはじまり)
- 十勝川に官営の伏古と然別、下士幌と帯広(越中渡し)を結ぶ渡船場が開設される
- 然別簡易教育所が創設される
明治34年(1901年)
- 下帯広外2村戸長役場から分離、音更外2村(然別、東士狩)戸長役場を設置、仮庁舎は山本安太郎氏自宅(現在の大通17丁目)
- 初代戸長 大塚伊三郎
- 然別、下士幌、東士狩、南中士幌各小学校が開校
- 音更郵便局が開局
明治35年(1902年)
- 初代役場庁舎を建築(現庁舎近く)
- 下音更小学校が開校

初代役場庁舎(のちに移転し、民間へ移管)
明治36年(1903年)
- 音更小学校が開校
明治37年(1904年)
- 戸長 大谷信夫
- 長流枝内小学校が開校
明治38年(1905年)
- 戸長 和知金次郎
- 十勝川に私設の有料木橋の開成橋(十勝大橋の前身)が架橋される
- 東士幌・駒場各小学校が開校
- 金輪馬車の利用が始まる
- 木野に本格的な商店ができる
明治39年(1906年)
- 音更ほか2村戸長役場を廃止、音更村として二級村勢を施行
- 初代村長 和知金次郎
- 開進小学校が開校
- 音更巡査駐在所が開設される
明治40年(1907年)
- 村長 水越儀一(第2代)
明治41年(1908年)
- 東士幌で白川競馬が開始、十勝で最古の伝統
明治42年(1909年)
- 上然別小学校が開校
- 村内で澱粉工場やレンガ工場が操業
明治43年(1910年)
- 内閣馬政局が十勝種馬牧場(現・家畜改良センター十勝牧場)を設置(のち陸軍省に移管)
- 葭原小学校が開校
- 鈴木農場が創設される
明治44年(1911年)
- 河西橋(十勝大橋の前身)が国費により完成
- 初の村勢一覧を石版印刷で発行
- 在郷軍人会音更分会が設立される
お問い合わせ
企画財政部広報広聴課
080-0198 北海道河東郡音更町元町2番地
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ファクス:0155-42-2117